荏柄天神、ご利益はいかに!?お守りは!?歴史は古い?アクセスは?

鎌倉・神社仏閣

関東で受験をするなら、一度は耳にしたり、足を伸ばしたことがあるはず! 日本三古天神社のひとつで(ほかは福岡・太宰府天満宮、京都・北野天満宮)、ここ鎌倉にあるのが「荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)」です。

また、年に一度の筆供養は全国ニュースで取り上げられるので、それで聞いたことがあるという方もいるかもしれません。

荏柄天神社、ご利益はいかに!?

やはり、気になるのがご利益です。

毎年、秋から年明けまで、学業の神様「菅原道真公」をお祀りしているだけあって、制服姿の受験を控えた学生さん達や修学旅行の生徒さんが多く参拝しているのをよく目にします。

荏柄天神社の御祭神は、菅原道真公です。

公式HPによると

道真公は学問の家柄である菅原家に生まれました。父の是善(これよし)も祖父の清公(きよきみ)も優れた学者であり、その血統を継いだ道真公が幼少の頃から非凡な学才を示されたのも道理でありましょう。11歳で初めて漢詩を作り、26歳の時に当時の最難関国家試験である方略試(ほうりゃくし)に合格されています。

道真公の文学的な業績としては『菅家文章』(かんけもんぞう)に見られる漢詩文の傑作をものされたことが挙げられます。一方政治家としての道真公は道理を重んじ、当時崩れつつあった律令制度のほころびを正そうと努められました。長年に渡って行われた遣唐使の廃止を具申したことは有名です。

こうした業績や誠実な人柄が宇多上皇の評価されるところとなり、道真公はその家柄からすると破格の右大臣の位に任ぜられ、国政を委ねられるようになりました。しかしこれを快く思わない左大臣藤原時平の一派の策謀により、大宰権帥(だざいごんのそつ・・・名目のみの役職)に落とされ九州大宰府に流されてしまいました。元々体がご丈夫ではなかったことに加えて心労も重なり、程なく都へ戻られることなく亡くなられます。

道真公の死後都に天災が続き、藤原時平をはじめとする反道真公派の人々が不思議な最期を遂げることが相次いだので、これが道真公のご無念のためと考えられるようになり、朝野から神として祀られるようになりました。そもそも天神様(てんじんさま)というのは、雷雨をも操ってしまうほど力の強い神様という意味の尊称なのです。

やがて時代が下るとともに、学問をする人や正直な人を助ける神様として広く信仰を集められるようになりました。

筆者が昨年末に参拝に行った際は、ご両親が大学受験を控えるご子息の昇殿祈祷をされているを見かけました。「〇〇大学商学部に~」と具体的な大学名まで祈祷で言っていたので、志望校は周りに知られちゃいますがw、そんなこと合格しちゃえばどうってことないですよね。

合格御礼の絵馬がたくさん飾られていることや、受験の時期に、毎年学生の参拝の列が絶えないことから推測すると、やはりご利益はあると思いますよ!

荏柄天神社で、お守りはいろいろあるの?

はい! お守り、いろいろあります!

こちらは荏柄天神社の入り口右に設置してあるものなのですが

右から

  • 合格祈祷木札 初穂料1,000円
  • 神札 初穂料1,000円
  • 祈願鉛筆 初穂料3本300円 1ダース 1,000円
  • 学芸上達守 初穂料600円
  • 刀守 初穂料500円
  • 合格守袋 初穂料500円
  • 児童開運守 初穂料600円
  • 学業守袋 初穂料600円
  • 学業梅守 初穂料600円
  • 合格梅守 初穂料600円
  • 開運梅守 初穂料600円
  • 守袋 初穂料500円
  • 天神御守 初穂料600円
  • 祈願絵馬 初穂料800円
  • 目的達成祈願絵馬 初穂料2,000円
  • 御礼絵馬 初穂料1,000円

となっています。

いろいろありますね~!

価格は、ほぼ500円か600円で、必ずしも受験を控えていなくても買えるお守りもあることがわかります。

また、ここらへんのこどもの家には、必ずと言っていいぐらい荏柄天神の祈願鉛筆はあるのでは!? うちにも、夫が子どものころにもらったのであろう鉛筆がたくさん転がってます。

それ以外にも熊手や祈願はちまきもあるので、行かれた際は、ぜひご自身にぴったりなものの初穂料を納めるのもいいですね!

荏柄天神社の歴史は?

ここで改めて、歴史をみてみましょう。

鎌倉市役所設置の看板には、創建1104年とあります。

公式HPによると

長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称される古来の名社です。

古くは荏柄山天満宮とも称されました。荏柄の社号は、天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』などに見える「荏草郷」の”えがや”が後に転じて”えがら”となり、「荏柄」と表記されたものと考えられています。

治承4年(1180年)鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝公は幕府の鬼門に位置する当社を崇敬し、更めて社殿を造立されました。以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、「吾妻鏡」には二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行された事など、社名がしばしば記されております。

この様に中世より特に崇敬された当社は、足利、北条、豊臣、徳川の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて近世にいたりました。現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として年間多くの方々が参拝され、社殿はいつも「祈願」「お礼」の絵馬で覆われています。

1104年に創建されて、頼朝公が鬼門の守護神としたとのこと。

明治時代にできた鎌倉宮に比べると、かなりの歴史があることがわかりますね。

また、公式HPの略年表によると

天正

十八

1590 四月、豊臣秀吉、荏柄社・覚園寺・瑞泉寺・宝戒寺・浄光明寺に禁制を下す

※『禁制』 … 大名などの権力者が軍勢による略奪などの禁止行為を記したもの

七月、豊臣秀吉参詣。造営の沙汰あり
 十九 1591 十一月、徳川家康、社領十九貫二百文の御朱印を賜う。

また、修復等を命じる

豊臣秀吉徳川家康も登場し、日本の歴史をずっと見守ってくださっていた由緒ある古い天神社であることが改めて認識できます。

 

荏柄天神社の見どころ <おまけ>

最後に、冒頭に少しふれましたが、荏柄天神社は毎年1月25日の初天神祭の日に筆供養も行われます。

10月には絵筆塚祭というちょっと変わった祭事も行われますが、これは境内に「かっぱ筆塚」と「絵筆塚」があるためです。

(公式HPより)

かっぱの絵を描き続けた漫画家「清水崑」先生ゆかりの「かっぱ筆塚」と、その意思を継ぐ「横山隆一」先生らの漫画家が建立した「絵筆塚」。

鎌倉の漫画家集団の歴史を刻む「二つの筆塚」の前で、筆の焚き上げ供養を行う特殊な祭事です。

祭壇を構え、漫画家の方々を招いて祭事を行います。
参道には漫画家協会の皆さまに御奉納頂いた、書き下ろしの漫画絵行灯が並び、祭事においては筆の焚き上げ供養を行います。

また、この日だけの特別な神賑行事として、漫画家先生方により似顔絵を描いて頂く事ができます。

「フクちゃん」で有名な横山隆一先生は、鎌倉駅西口のスターバックスが邸宅跡として有名です。こちら、荏柄天神社にも「絵筆塚」を建立されていたり、鎌倉っ子にとってはいつまでも身近に感じる漫画家の先生です。

このように鎌倉には、古くから漫画家の先生方が多くいらしたことがわかります。漫画家を志す方にも、ぜひ参拝してほしい天神様です。

さあ、ここまで読んだら、参拝したくなりましたか?

荏柄天神社への行き方は? <アクセス>

いざ荏柄天神社へ!

鎌倉駅東口(小町通りなどがある賑やかな方)改札出て、右すぐの5番バスで、「岐れ道」の次、終点「大塔宮(鎌倉宮)」の一つ前のバス停「天神前」下車すぐです。

鎌倉駅から週末の渋滞がない状態で、13分ほど。

徒歩だと鎌倉駅から30分といったところです。

ぜひ鎌倉散策の際には、この歴史ある荏柄天神社へ参拝にいらしてくださいね。

 

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